勝海舟といえば、幕末に活躍した明治維新の志士の中心人物のひとりで、江戸城無血開城を果たしたことでよく知られています。
歴史の授業でも習いますが、ここでは、 勝海舟が残した格言や名言に加え、その人生や興味深いエピソードなどから、勝海舟はいったいどんな人物であったのかかを学んでみましょう。
勝海舟の格言・名言集
勝海舟の名言① 愚直の美徳
⭐事を成し遂げる者は愚直でなければならぬ。才走ってはうまくいかない。
才走ってはうまくいかないのは、才能があることですぐに「わかった気持ち」になり、物事の本質を見抜けなかったり、すぐに有頂天になって脇が甘くなってそこから転落が始まることもあるからでしょう。
物事を成し遂げるには、愚かに見えるかもしれないけれども気持ちがまっすぐで努力を着実に重ねてゆく、そして智慧を蓄えて行動を続けてゆくことが求めらます。
勝海舟の名言➁ 雌伏の時
⭐急いでも仕方がない。寝ころんで待つのが第一だと思っています。
果報は寝て待てという言葉がありますが、勝海舟も長い年月の雌伏の時代を過ごしています。しかし、その間にじっくりと次の時代に活躍するための準備をしていました。
先見性があるにも関わらず、「時が満ちる」のを待つ、「その時に蓄える」ということは、大きな度量のいることです。それも勝海舟の兵法のひとつでしょう。
勝海舟の名言③ 人生戦略
⭐大事をなすには寿命が長くなくてはいけないよ。
花火のように打ち上げて短命で華々しく散るのもひとつの人生ではあります。しかし 大きな事を達成するには、一生かけてじっくりと取り組むことが必要です。
ところが「寿命が長くても大事をなさない」こともあります。要は「人生には理想と、それを実現するための人生戦略」が必要なのです。
勝海舟の名言④ 敵について
⭐敵は多ければ多いほど面白い。
困難な状況の乗り越え方、精神的態度を教えていただきました。
勝海舟の老練な手腕・強靭な精神力が感じられます。
勝海舟の名言⑤ 政治家の条件
⭐政治家の秘訣は何もない。ただ「誠心誠意」の四文字ばかりだ。
政治家の本質をズハリ、ひとつの四字熟語で表した、勝海舟の智慧みなぎる名言です。
勝海舟の名言⑥ 自分の価値の決め方
⭐自分の価値は自分で決めることさ。つらくて貧乏でも自分で自分を殺すことだけはしちゃいけねぇよ。
自分の心は誰にも邪魔されない王国であり、自分自身がその王国の主であるのです。だから、自分の価値を決めるのはあくまでも自分自身なのです。
自分で自分を殺すとは、自殺まで行かなくても、自暴自棄になって自分の心を痛めつけることも意味するでしょう。
もちろん絶対に自殺はいけません。なぜならば周りの人が嘆き悲しむばかりか、その人の死後もその苦しみが続くからです。それを地縛霊ということもあります。人間がこの世に生まれてきた目的は「魂の修行」にあるのです。
また、「自分なんて全く価値のない人間だ」と、自分で自分を痛めつけてはいけません。
つらくて貧乏であることが、イコール「価値のない人間」ではないのです。楽しくて豊かでも心が貧しい人もいます。また、自分以上に、つらくて貧しい人も世のなかにはいます。豊かでも貧しくても「心優しく他人のために愛を与えようとていしている人」が素晴らしい人間なんのです。
状況が良くないとき、強気な人は、それを「人や環境のせい」にして、自分の価値を死守しようとします。そして弱気な人は「自分の価値を貶め、痛めつける」方向になります。しかし、このどちらも、自分の心の王国を守っているとはいえないのです。
勝海舟の名言⑦余裕について
⭐人には余裕というものが無くては、とても大事はできないよ。
精神的に余裕がなければ焦りの気持ちが出てきます。焦りが出くると細部に目が届かないばかりか、大切な「判断」を間違うことも多くなり、物事を仕損じてしまいます。
また「余裕」がなければ、隙が発生して「悪」から切り込まれる形となり、柔道のように「切り返し」ができなくなってしまいます。
精神的な余裕を持つためには、時間管理をしっかりとすること。また視野を拡げる努力、大きな器づくりを目指すが大切です。
勝海舟の名言⑧ 批判について
⭐行いは己のもの。批判は他人のもの。知ったことではない。
他人の批判を恐れ、他人の批判に左右されていては世の中の改革なんかできません。
自分の行いに責任を持つ気持ちがあり、大義名分がバッグボーンにあるならば、どんな批判や中傷があっても断固として進んでいかなければなりません。
勝海舟の名言⑨ 精一杯やり切る行動の大切さ
⭐やるだけのことはやって、後のことは心の中で、そっと心配しておれば良いではないか。どうせなるようにしかならないよ。
やるべきことをしっかりとやっているかどうかをまず問われます。やるだけのことを本当にやっていれば、後は時が満ちるのを待つことができます。
自分の行ったことに対してつねに他人に同意ばかりを求めたとしても、そしてそれが一時的な気休めにはなったとしても、何も解決しません。
時間を無駄に使わないためにも、やるだけのことをやったならば、そっとその行先を案じながらも、その先に続けてやるべきことや、次の大切な仕事に取り組むべきです。
勝海舟の名言⑩ 時代と人の評価について
⭐時勢の代わりというものは妙なもので、人物の値打ちががらりと違ってくるよ。
時代が大きく変わる時というのは、個人の評価もガラリと変わってきます。
幕末の志士らしい名言ですが、現代社会においても社会の変化や、会社などの栄枯衰退のなかで体験することができます。
勝海舟の名言⑪ うまくいかない時の過ごし方
⭐人の一生には、炎の時と灰の時があり、灰の時は何をやっても上手くいかない。そんなときには何もやらぬのが一番いい。ところが小心者に限って何かをやらかして失敗する。
うまくいかない時は小心者ほどあせって行動を起こして失敗してしまいます。
何もやらない方がいいというのは外に向かってのことであり、そんなときにこそしっかりと未来への準備をした勝海舟を見習って、体力をつけたり勉学に励んでおくことが極めて大切です。
勝海舟の名言⑫ 成功の仕方
⭐もし成功しなければ、成功するところまで働き続けて、けっして間断(かんだん)があってはいけない。世の中の人は、たいてい事業の成功するまでに、はや根気が尽きて疲れてしまうから大事ができないのだ。
根気が続くためには、何よりも「志」が大切です。正しい「念い」があって、その「念い」が精進(努力)を引っ張るのです。
志をしっかりと立て、決して焦らずに、粘り強く推し進めてゆくなかに、成功への道が開けてゆくのです。
勝海舟の名言⑬ 断行について
⭐何でも大胆にかからねばならぬ。難しかろうが、易しかろうが、そんな事は考えずに、いわゆる無我の境に入って断行するに限る。
大きな夢やロマンがあるならば、後は勇気を持って断じて進んでゆくしかありません。
難しければやらない。優しければよるのはアマチュアでも最低レベルであって、何があろうともやり抜くのは「プロフェッショナル」への道です。
無私無我の心境に入れるのは、「天下国家のため、世のため人のためにお役に立ちたい」という強い愛の念いが漲っているからです。無我の境から勇気が出ます。勇気を持って断行しないで、新しい未来が開けることはありません。
名言の背景として勝海舟の生い立ち
勝海舟の歩んだ人生を順を追って見ていきます。
・・幕府の要人となるまで
旗本の子として生まれましたが、家は貧しく勝海舟自身も間借りするなど生活には苦労していたようです。
それでも勝海舟は腐ることなく、剣術を学んだり蘭学を学んだりしながら成長していきます。
その後日本に黒船が来航すると、幕府は黒船に対抗するための策を募集します。
この時に勝が提出した意見書が注目され、これがきっかけで長崎海軍伝習所の一期生となります。
ここで学んだことを活かし、咸臨丸にも乗船、幕府の要人として本格的に活躍を始めます。
・・江戸城無血開城での役割
明治維新に際して勝海舟は大きな事を成し遂げます。
それが有名な江戸城無血開城です。
当時、幕府と新政府軍で争っている状態でしたが、新政府軍の西郷隆盛と会談をすることで、武力を使わない平和的な方法で江戸幕府を終わらせます。
もし江戸城無血開城がなければ、江戸で大規模な戦闘が起き多くの人が亡くなっていたでしょう。
・・大政奉還後
大政奉還が行われた後も、新政府のサポートをし、新しい日本の土台作りに励みます。
晩年は江戸幕府最後の将軍だった徳川慶喜の子を養子に迎えるなど、江戸幕府への忠誠心も垣間見える行動もしています。
そうして77歳の時に亡くなりました。
貧しい家の出でありながら強い精神力でさまざまなことを学び、学んだことを活かす行動力を持ち合わせていたのが勝海舟です。
その実力は認められ、江戸幕府の要人として活躍し、最終的には江戸城無血開城という大きな偉業を達成します。
平和的な方法で被害を最小限に抑え、同時に海外が日本に介入する隙を作らなかったその手腕は、勝海舟の人物を象徴しています。
諦めずに最後までやり遂げる気持ちがあったからこそ、これだけの偉業を達成できたのでしょう。
勝海舟の意外なエピソード
勝海舟といえば江戸城無血開城ですが、この他にも興味深いエピソードがあります。
・・実は船が苦手??
勝海舟は日本人で初めて太平洋を横断した人物です。
咸臨丸に乗ってアメリカまで行ったのですが、船酔いがひどく到着までほとんど部屋にこもっていたとされています。
豪胆でバイタリティ溢れるイメージですが、そんな彼も船酔いには勝てなかったようです。
・・剣術も凄腕
勝海舟は子供の頃から剣術を学んでおり、直心影流剣術という流派の免許皆伝を得ています。
腕前は際立った凄腕です。生涯、幾度となく暗殺者に狙われるのですが、その都度、僅かな時間で、それも素手でねじ伏したことが伝えられています。
剣術が強い精神力を養うひとつになったのでしょう。
・・大の犬嫌い
子供の頃に犬に噛まれて大怪我をしたことがあり、それ以来犬がとても嫌いになったそうです。
細かいことは気にしない豪快な人物ですが、そんな勝海舟でも犬は怖かったようです。誰にでも苦手なものはあるのですね。
勝海舟の志と精神力・先見力を学ぼう!
勝海舟は激動の幕末を生きた人物で、江戸幕府の要人でありながら広い視野を持って行動しました。
時には、勝海舟から出るアイデアは突飛なものであり空気が読めないと称した人もいたようです。しかし、それは勝海舟に「先見の明」があったからです。
現状ばかりを見ている人にはそれをなかなか理解できません。智慧に支えられた「先見の明」が、江戸城無血開城という偉業を成し遂げたのです。
その後も新政府の要人として活躍し、日本を海外に負けない強い国にするために奔走しました。
天下国家のために尽くす大きな透明な志と先見力、強い精神力が道を切り拓き、新しい時代への変革パワーになったと言えるでしょう。