夏目漱石は日本人にとても馴染みのある文豪です。
以前は千円札の肖像だったこともあります。デビュー作である『吾輩は猫である』はじめ、『坊っちゃん』『三四郎』『こゝろ』など数多くの有名作品を書き上げました。日本を代表する作家の1人であり、学校の授業などでも取り上げられる機会の多い偉人です。
今回は、夏目漱石の残した格言・名言や生い立ち、エピソードなどを通じて、「夏目漱石の心」に迫ってみましょう。
夏目漱石の格言・名言集
夏目漱石の名言① 焦りへの戒め
⭐あせってはいけません。ただ、牛のように、図々しく進んで行くのが大事です。
焦ると物事を仕損じます。焦りとは「努力をしないで結果を早く手に入れたい」という気持ちから生じるものです。
図々しく進むとは、じっくりと、物事に動揺せずに着実に前進してゆくということでもあります。努力を積み重ねて、堂々と「大道」を歩むことが、成功への黄金の道です。
夏目漱石の名言➁ 度量を持つ
⭐自分の弱点をさらけ出さずに人から利益を受けられない。
自分のだめな部分も見せるくらいの度量がなければ、人からは信用されず、受け入れられません。度量とは器の大きさでもあります。
しかし、自分の弱さをさらけ出すことで落ち込んでいたのでは何もなりません。自分の弱さを提示できるためには、しっかりとした自己確立が必要です。
夏目漱石の名言③ 熱意の大切さ
⭐私は冷かな頭で新しい事を口にするよりも、熱した舌で平凡な説を述べる方が生きていると信じています。
冷ややかな頭とは「冷静に考える」ということではなく、正しいことを言っているように見えるけれども、どこかで「冷めている」ということでしょう。
その逆に、冷静であって平凡なことを述べているようであっても、その言葉ひとつひとつに熱意が入っている、言霊が入っている、そのようなありさまが「生きている」との表現になったのでしょう。
夏目漱石の名言④ 真面目とは
⭐真面目とはね、君、真剣勝負の意味だよ。
何事も真剣勝負のつもりで取り組むことが「本当の真面目」。見せかけだったり体裁だけを整えるような真面目さは「偽物の真面目」であり、そこには真の誠実さはありません。
本当の真面目とは自分自身との真剣勝負であり、イミテーションの人生を送らないための心構えです。
夏目漱石の名言⑤ 運命の考え方
⭐運命は神の考えることだ。 人間は人間らしく働けば それで結構だ。
自分の運命が悪いのではないかどうかを気にするばかりか、少しでも良くないことがある時にすかさず運命のせいにする人がいます。
しかし、運命の良し悪しを考えてばかりいることで運命が良くなることはあません。運命の奥に神の存在を感じ、神の子としての人間として健気に、一生懸命に働くことが、運命を良くするためのポイントです。
夏目漱石の名言⑥ 力を振り絞れ
⭐乗り切るも、倒れるのも、ことごとく自力のもたらす結果である。
この言葉の背後には、疲労困憊している方へ何とか力を出して立ち直って欲しいという、励ましの愛の心が溢れています。
辛いことがあった時、慰めてくださる方もいらっしゃると思いますが、最後は、自分の力を確信して、自分で立ち上がらなければなりません。
人間というのは、それだけの力を持っている。今、あなたの前を立ち塞いでいる障害物は、あなたの乗り越えることができる範囲で存在している。
だからクリア可能である。何とか力を振り絞って頑張りなさいという応援メッセージです。
夏目漱石の名言⑦ 道徳の切り替えについて
⭐古い道徳を破壊することは、新しい道徳を建立する時にだけ許されるです。
古い道徳から新しい道徳への切り替えについて説かれています。
温故知新であるが、逆を言えば、単に古い道徳だけを金科玉条のごとく守り通せばいいということでもない。
「新しい道徳を立てる時、そこに真実の光があると確信するならば、古い道徳を捨て去れ」との言霊が込められています。
夏目漱石の名言⑧ 現在と未来の関係について
⭐あなたが今、撒く種はやがて、あなたの未来となって現れる。
「努力は必ず将来のためになる」ということを、種に例えた言葉です。
仏教的に言えば「因果の理法」という言葉に当てはまるでしょう。原因結果の法則でもあります。良い種を撒き、努力をするならば、良い結果となって現れてまいります。
夏目漱石の名言⑨ 角のある人への戒め
⭐人間は角があると世の中を転がって行くのが骨が折れて損だよ。
角の立った人間では生きていくのは苦しい、丸い人間になった方が生きやすいことを、優れた比喩でたとえています。
角がある人間とは、たとえば「怒りに満ちた」人間でしょう。正当な正義のための怒りなら素晴らしいけれども、自分が誰かに重宝されないための怒りならば、怒れば怒るほど人の信頼を失い、人は遠ざかってゆくことになります。
また角がある人間とは、自我我欲の強い人のことでしょう。自分のことばかり考えて他人の幸福は考えない。そして自分の主義主張を相手に押し付けるばかりでは、頭に「我」という角が生えてしまいます。
自分の幸福と他人の幸福を合わせて考えてゆくときに、世の中は生きやすく発展の光で満たれるでしょう。
夏目漱石の名言⑩ 科学技術と人間の心
⭐人間の不安は科学の発展から来る。進んで止まる事を知らない科学は、かつて我々に止まることを許して呉れた事がない。
私達の生活を便利にする科学技術ですが、その進歩の速さに比べて、逆に、人間の心がなおざりなってきているのかもしれません。
現代では、科学万能主義となりつつあり、唯物の方に偏りすぎていて、人間の心の諸相への探求や、大切な宗教心が阻害され、それが道徳退廃にもつながっています。
夏目漱石の名言⑪ 子宝という豊かさ
⭐子供さえあれば、大抵貧乏な家でも陽気になるものだ。
子供は宝と言います。子どもがいることは豊かさのひとつの現れです。
この名言からは、貧しく苦しんでいる多くの家庭に対しての夏目漱石の愛情が伝わってきます。しかしこれは単なる励ましではなく、真実の言葉でもあります。
どんなに辛い状況でも子供がいることの喜びを発見するならば、家庭は明るくなり、苦難も乗り越ることができるでしょう。
夏目漱石の名言⑫ 誠実さについて
⭐自分に誠実でないものは、決して他人に誠実であり得ない。
誠実であるということは、自分の心に嘘ごまかしがないということです。そのメンタリティーが他人への誠実さ=愛となって現れてまいります。
夏目漱石の名言⑬ 物事の見方
⭐色を見るものは形を見ず、形を見るものは質を見ず
一方的なこだわった見方だけではなく、物事を全体的に見る力、あるいは物事の本質を見極める力の大切さが説かれています。
色→形→質という素敵な表現が使われています。
名言の背景としての夏目漱石の生い立ち
・・幼少時
夏目漱石は江戸時代、今の東京にあたる江戸で名家の5男として生まれました。
名家の生まれではあったものの、生まれてすぐの2歳の時に養子に出され塩原という名字に変わっています。
10歳までは塩原家で育ち、養父母が離婚すると夏目家へと戻ります。
いわゆるエリートな生まれですが、幼少期から実家を離れ養父母が離婚するなど、大変な生活を送っていたようです。
・・大学卒業後は教師に
東京帝国大学に入学した夏目漱石は、成績も優秀で特待生になるほどの実力を発揮します。
卒業後は教師となり、いくつかの学校で教鞭をとりました。この教師時代の経験は、坊っちゃんという作品でも描かれています。有名な坊っちゃんは夏目漱石の自伝的要素も含まれているのです。
教師だった夏目漱石ですが、国の依頼もあってイギリスへと留学に行きます。留学後は母校の東京帝国大学で講師となり、英文科で教えています。
この時点で夏目漱石は30代で、作家としてデビューするのは決して早くなかったのがわかります。
・・小説家としてのデビューと晩年
教師生活で精神を疲弊させていたこともあり、夏目漱石は教師を辞めて新聞紙専属の作家として活動を始めます。
作家としての才能を開花させ、デビュー直後から精力的に作品を発表、評価されます。
吾輩は猫であるや坊っちゃんといった有名作品も含め、たくさんの作品を残しました。
ですが作家生活は自分の体との闘いでもありました。胃潰瘍に悩まされるなど肉体的にトラブルが多く、44歳の時には胃潰瘍が原因で大量の吐血をしたと言われています。ここで、エピソードで述べますが霊的体験をしています。
胃潰瘍は再発を繰り返し、完治することなく彼を悩ませていたようです。そして50歳の時、作品の執筆中に胃潰瘍がまた再発し、そのまま亡くなってしまいます。
夏目漱石に関するエピソード
それではここで、夏目漱石のピソードをご紹介します。
‥夏目漱石は霊能者だった?!
夏目漱石は、イギリス留学時代にも幽霊体験をしたことなどの記載がありますが、もしかすると、目には見えないものが見える「霊能者だった」のかもしれません。
また有名なのが、滞在先での大病、伊豆の「修善寺」での出来事です(「修善寺の大患」)。幽体離脱の様子などがアリアリと述べられていて特殊な体験を積んでいます。
さらに、考えてみれば、『吾輩は猫である』などの猫の視点から見た人間観察は、単に想像上のものではないのかもしれません。
いずれにいても、夏目漱石は特異な霊的な目を持っていたといえるでしょう。それが作品の随所に表現されています。
・・アイ・ラブ・ユーは月が綺麗ですね
教師として英語を教えていた時、アイ・ラブ・ユーの和訳として残した言葉です。
生徒が「アイ・ラブ・ユー」を「私はあなたを愛しています」と和訳した時、夏目漱石は日本人ならそんな言い方はしないと教えたといいます。
そこで彼が残した訳が「月が綺麗ですね」という言葉です。作家になる夏目漱石らしいロマンのある翻訳です。
・・大の甘党
夏目漱石は甘いものが大好きで、特にようかんには目がなかったそうです。胃潰瘍で体調を崩してからも、医師の言いつけを無視して甘いものを食べていたようです。
作家というのは頭を使う仕事ですから、糖分補給のためにも甘いものが欠かせなかったのかもしれません。
亡くなる5年ほど前からは甘いものが禁止となったようですが、それでも隠れて食べていたと言われています。
後世への影響力絶大な夏目漱石作品
夏目漱石は教師になった後、作家としてデビューし多くの作品を残しました。
今でも読まれる作品も多く、美しい文章表現で心の機微を見事に書き表したという点においても、日本を代表する作家の1人です。
本人は頑固で負けず嫌いな性格で、甘いものが大好きという以外な面も持っています。体があまり強くなく、50歳という若さでこの世を去ってしまいました。
残した作品と名言は現代の人々にも心の指針を与え続けています。後の世に残した影響は極めて大きいと言えるでしょう。