湯川秀樹の名言【解説・生涯・関連本‥】アイデア獲得と能力開花の秘訣

    ノーベル賞はダイナマイトの発明者ノーベル博士の遺言に従って設立された世界的な権威ある賞であり、日本人の受賞者も複数存在します。

    湯川秀樹もそのうちの1人であり、彼の名は日本人初の受賞者として知られています。

    湯川秀樹は74歳でこの世を去るのですが、それまでに多くの言葉を残しました。自分のアイデアを開花させたい人はもちろん、逆に目的もなく気力が出ない人のためにも、湯川秀樹の元気が出る名言を紹介します。前向きな人生を送るためのヒントとなるでしょう。

    湯川秀樹の格言・名言集

     湯川秀樹の名言・格言① 失敗からの出発

    ⭐取り返しのつかない大きな失敗をしたくないなら、早い段階での失敗を恐れてはならない。

    ⭐科学の歴史は裏から見れば失敗と停滞の歴史でもある。しかし早い段階での失敗がなかったら、成功も飛躍もなかったであろう。

    失敗からは教訓を学んで智慧に変えてゆくことで、それを次に生かすことができます。

    早い段階の失敗は宝の杖となり、それが次のステップの、難局を乗り越えるための礎となるのです。

    ですから、早い段階での積極的チャレンジは、それが成功するにしても失敗するにしても大切なことです。

     湯川秀樹の名言・格言➁ アイデアの秘訣

    ⭐アイデアの秘訣は執念である。

    インスピレーションを伴うアイデアは、何もしないでただひたすらに待っているだけでは降りてきません。

    何か成し遂げたいもののために、がむしゃらに努力を続けていると集中力も増し、そのなかに良きアイデアが生まれてきます。

    そのアイデアは、この世のものではなく、目には見えない天上の一角から降りてくるものでしょう。

    よく考え抜いて努力を積み重ねていくことが、アイデアが閃く前提条件です。

     湯川秀樹の名言・格言③ 一日一生

    ⭐一日生きることは、一歩進むことでありたい。

    一日一生と思って、一日の枠の中で精一杯に仕事を進め、その毎日の一歩を積みあげてゆくことにより、次第に大きな成果となってゆきます。

    一日を大事にすることは、一日を与えてくださっている神仏への感謝、一日を支えて下さっている身近な方への感謝にもつながってくるでしょう。

     湯川秀樹の名言・格言④ 真実の発見の価値

    ⭐真実は、いつも少数派。

    真実の発見は、一般的な常識とは違っていたり、また未来を先取りするために、周囲の方に理解されずに少数派となることがほとんどです。

    それは孤独なことであり、その孤独を克服することが「発明を形として現わしたり、時代を変えてゆくための勝負」なのです。

    湯川秀樹もそのような孤独と戦って勝つことができたので、偉大なる発明を成就することができたのでしょう。

     湯川秀樹の名言・格言⑤ 集中力のススメ

    ⭐今日はあれをやり、明日はこれというように、あまり気が散ると結局どれもものにならないですね。

    あれもこれもやりたいということのなかには、仕事や生活がパンクするのは薄々はわかっているけれども、早く何らかの結果を出して認められたい、多方面の成果を出して賞賛されたいなどの「行き過ぎた欲望」が隠れいてる場合もあります。

    仕事をすすめるには、全体を見渡したうえでの計画性と集中力・段取り能力の向上が必要です。

    仮に同時進行で進めてゆく仕事があったとしても、それらが融合して結びつき大きな成果をともなうかが、重要ポイントなのです。 

     湯川秀樹の名言・格言⑥ 独創性の大切さ

    ⭐ただ流行を追っているというのは、つまらない生き方です。

    海外などの流行を後追いして真似ばかりしているのはつまらない生き方です。なぜならば、それは主体性のない生き方だから。

    創造的で、クリエイティブな生き方の方が面白い。単に流行を追うより、流行は学んでもそれをアレンジする。あるいは流行をつくり出す生き方が面白いのです。

    独創性を生むには、さまざまな知識を得て、さまざまな視点が持てる訓練が下支えとなるでしょう。

     湯川秀樹の名言・格言⑦ 明日進むために

    ⭐今日の真理が明日否定されるかもしれない。だからこそ私どもは、明日進むべき道を探し出すために、時々、昨日まで歩いてきたあとを振り返ってみることも必要なのである。

    前に進む重要性を訴えた名言が数多くあるなか、湯川秀樹は、「たまには振り返ることも必要だ」と語っています。

    振り返るということは、過去の思いや行いを客観的に検証し、そのなかから教訓という名の砂金を得る行為でしょう。

    そうして得た宝物が、明日進むべき道を探すための光となります。

     湯川秀樹の名言・格言⑧ 真実の発見の喜び

    ⭐中間子の発見は、まだまだ大きい宇宙の中の一つの星を見つけたようなものです。

    ⭐科学研究も人間の知的好奇心にもとづく創造であって、芸術やその他の文化活動と同じものだ。

    湯川秀樹は中間子に関する論文がきっかけでノーベル賞を受賞したのですが、その受賞さえも、広大な宇宙の中を探検する喜びや、知的好奇心からくる喜びから比べれば、ほんのささやかな出来事であったのでしょう。

    探求者・求道者としての「真実の発見の喜び」を少しだけおすそ分けして貰えたような言葉です。

     湯川秀樹の名言・格言⑨ 理論物理学の本質について

    ⭐理論物理学という学問は、簡単にいえば私たちが生きているこの世界の根本に潜んでいるものを探そうとする学問である。本来は哲学に近い学問だ。

    理論物理学の世界の究極は、目に見えない世界への参入が必要であり、哲学や宗教に近くなるとも言われています。

    ニュートンを始め世界的な科学者には宗教心があり、目に見えない世界の存在をつかんでいたのではないでしょうか。

     湯川秀樹の名言・格言⑩

    ⭐自分の能力は、自分で使ってみなければわからない。

    面白い表現になっています。

    自分の能力をこよなく愛し、丁寧に磨くこと。自分を本当の意味で愛し、その与えられた能力を成長させることの大切さが説かれています。

    自分の能力は神から与えられたものであり、神への感謝の気持ちが前提となるでしょう。

     湯川秀樹の名言・格言⑪ 学生への教訓

    ⭐君たち全員に優の成績をあげるけれども、勉強は自分でしなさいよ。

    湯川秀樹は大学教授でもあり、学生たち残したメッセージのひとつです。ユーモラスであるけれども勉学の本質をズバリと突かれ、ドキッとしますね。

     湯川秀樹の名言・格言⑫ 平和への願い

    ⭐地に空に平和を。

    日本やその他の国々のために、科学的発展とともに平和を祈った湯川秀樹。その、シンプルで重みのある名言を心に刻んでおきたいと思います。

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    名言の背景としての湯川秀樹の生い立ち

    湯川秀樹は理論物理学者であり京都大学と大阪大学の名誉教授でもあり、さらに京都市名誉市民でもありました。

    ここでは、湯川秀樹の生い立ちを簡単にみてみましょう。

    ・・誕生と少年期

    1907年1月23日、現在の六本木にあたる東京府東京市麻布区市兵衛町に生まれます。

    しかし湯川秀樹は人生の大半の時間を京都で過ごしており、京都出身と紹介される場合もあります。

    京都市立京極小学校を卒業し、京都府立京都第一中学校に入学します。

    学校ではあまり目立たないポジションで、面倒なことに対してはすべて「言わん(言わない)」の一言で片付けていたためイワンちゃんというニックネームがあったようです。

    ・・結婚により湯川姓となる

    1929年に京都帝国大学理学部物理学科卒業し、同大学の玉城嘉十郎研究室となります。

    その後大学講師や教授などを務め、大阪帝国大学の講師にもなります。そして湯川スミという女性と結婚し、彼女の家の婿養子となりました。結婚するまでの姓は小川でした。

    ・・アインシュタインとの出会い

    1934年に中間子理論構想を、翌年に素粒子の相互作用について論文を発表します。

    当時はあまり評価されなかったのですが、湯川秀樹は1939年のソルベー会議に招待されます。

    その後渡米してアインシュタインと交流を持ち、湯川秀樹に対する評価は次第に高くなりました。

    ・・日本人で初めてノーベル物理学賞を受賞

    1947年にイギリスの物理学者がセシル・パウエルらにより、中間子が発見されました。これにより2年後の1949年に、湯川秀樹は日本人初となるノーベル物理学賞の受賞者となります。

    日本は戦争に敗れた後の時期でしたが、日本人の歴史的な快挙は当時の日本国民を勇気づけたと言われています。 

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    湯川秀樹の有名なエピソード

     戦後の日本を大いに励ました湯川秀樹に関するエピソードの中から、有名なものを紹介します。意外な一面が理解できるでしょう。 

    ・・鉄板ジョークを持っていた

    湯川秀樹には素粒子についてこだわりがあったのです。

    そもそも素粒子自体がとても小さいため、黒板に描くときに点で表現する人が多かったようです。

    しかし湯川秀樹は点ではなく丸で表現すべきと考え、素粒子を点で表現するのは「テン(点)で駄目だ」、と学生にジョークを言っていたようです。 笑いのツボは人それぞれですが、学生たちは気遣って笑っていたようです。

    ・・実はノーベル平和賞も!?

    日本人初のノーベル賞受賞者として知られる湯川秀樹ですが、実は二冠のチャンスがあったかもしれないのです。

    ノーベル財団が公表した候補者リストの中に、1966年のノーベル平和賞の候補者として彼の名前が推薦されていたのでした。

    湯川秀樹は学者としてだけではなく、世界平和を訴える運動も行っていたのでした。
    日本への原爆投下を阻止できず涙を流したというアインシュタインのエピソードがあるのですが、湯川秀樹はその影響を受けたようです。

    ・・教え子たちからの評価は?

    実は湯川秀樹の講義はあまり評判は良くなく、声が小さかったようです。
    内容もかなり難解なもので、最初から認められていたわけではなかったようです。

    それでも上記にあるジョークなどから、湯川秀樹なりに努力していたことが伺えます。

    学生たちも気遣うように笑っていたのですが、それは湯川秀樹という人物が尊敬されていたからです。

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    人々の幸福を願って自分としての道を歩み続けよう。

    日本人初となる歴史的快挙を成し遂げた湯川秀樹であっても、最初から認められていたわけではなかったのです。

    アイデア豊富だけれども周囲から認められずに落ち込んでいる人は、逆に、「もっと勉強や研究が足りない。もっとアイデアが足りないのだ」と思って、努力を積み重ね、さまざまな試みを続けてみましょう。

    また気力が出ない人は、湯川秀樹の名言を熟読し、今すぐにも「まず何か小さな一歩を」踏み出しましょう。その一歩が重要です。自分のやりたいことから始めてみてください。そして自分なりの道を探してゆきましょう。

    智慧を蓄え、勇気を出して進んでゆけばその先に、きっと、多くの方のお役に立てる素敵な未来が待っているでしょう。  

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