内村鑑三の名言【英語・日本語・関連本‥】断固として信念を貫いた代表的日本人の気概
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    内村鑑三はキリスト教(無教会主義)を日本に普及させ、徹底的に非戦論を唱えた稀有な思想家です。「代表的日本人」の著者でもあります。今回は、内村鑑三の人生、エピソードを交えて、その名言をご紹介します。

    内村鑑三の名言集①~⑫

    内村鑑三の名言①天職という幸福

    ⭐What is the best happiness in life? It's about knowing your vocation and putting it into action
    ⭐人生にとって一番の幸福とは何か?それは自分の天職を知って実行に移すことである

    最初からキリスト教に携わった仕事をしておらず、途中で伝道師として人生を歩むことになった内村鑑三自身を象徴する言葉です。

    自分でやりたいと感じる仕事は苦難のなかにも喜びがあります。さらには、それが天から賜った使命としての仕事、つまり天職だと感じる時、幸福感とともに、その仕事をやり遂げなくてはならない使命感に燃えるでしょう。

    内村鑑三の名言➁喜びの人となる

    ⭐If you make a voice of joy, you become a joy person. Voice of If you make a voice of sorrow, you become a sorrow person.
    ⭐喜びの声を発すれば喜びの人となり、悲しみの声を発すれば悲しみの人となる

    ポジティブなことを考え、ポジティブな言葉を出していると、その想念に、どんどんと素晴らしい未来が引き寄せてまいります。

    逆に、いつも悲観的なことを考え、悲観的な言葉を出していると、その念いに、悪いものが引き寄せられてきます。引き寄せの法則に関する名言です。

    内村鑑三の名言③一日一生

    ⭐A day is a precious lifetime.This must not be wasted.
    ⭐一日は貴い一生である。これは空費してはならない

    一日一生。一日を一生と思って輝かせてゆくためには、しっかりとした「時間管理」が大切です。

    また人生というのは一日一日の積み重ねでできています。一日一日を大切にし、輝かせてゆくことで、希望の未来が開けてまいります。

    また、一日で人生の転機が訪れることもあります。内村鑑三は一つの出来事(不敬事件)によって人生の大きな転機を迎えました。

    他人からみると不幸な出来事であるかのように思えますが、内村鑑三にとっては、その後の使命を果たしてゆくための大きなきっかけとなりました。

    内村鑑三の名言④ 後世への最大遺物とは

    ⭐後世へ残すべき物はお金、事業、思想もあるが、誰にでも出来る最大遺物とは勇ましく高尚なる生涯である

    内村鑑三本人もそうですが、歴史に名の残る多くの偉人たちは、自分の利得のためではなく、多くの方の幸福のために、身命を賭してその人生を全うしました。

    後世に残る最大の贈り物は、世のため人のため、天下国家のために、勇気を持って自らの命を投じた、その高尚なる精神、そしてその生き様ではないでしょうか。

    その結晶された精神の輝きが、遅れてくる青年たちに強いインパクトの影響力をもたらすのです。

    内村鑑三の名言⑤自分に頼る

    ⭐Rely on yourself. Don't rely on others
    ⭐自己に頼りなさい。他人に頼ってはいけません。

    「自立心の大切さ」を示した名言です。

    各人の自立心が、良き人間関係を構築することになり、自立心あってこそ、本当の意味で、必要な時に、他人の力を借りることができるのです。

    これは、政治においても同じです。日本は独立国として「自分の国は自分で守る」気概を持った上で、経済的にも繁栄してゆく道を歩まなければなりません。 

    内村鑑三の名言⑥着実に進む

    ⭐急ぐべからず。何事も焦らずにゆっくり行きなさい。

    大切な物事を成し遂げるには、腹を据えることです。
    一歩ずつ着実に、グイグイと進んでゆくことで、大きく道は開いてゆきます。

    内村鑑三の名言⑦愛の精神

    ⭐Think of an employee as a brother. Treat the guest as a family
    ⭐雇人は兄弟と思いなさい。客人は家族として扱いなさい

    内村鑑三には、キリスト教の愛の精神が満ち溢れていますが、他人を心から愛することは、現代の人間関係が薄い時代にもとても大切な教えでしょう。

    内村鑑三の名言⑧誠実さの美徳

    ⭐誠実から得た信用は最大の財産となる。

    お金に対する信用や、人に対する信用の基は、その人の「誠実さ」にあります。

    誠実さの美徳は仏教やキリスト教などの世界宗教の教えの根本にあり、神や仏を敬う確かな信仰心から誠実さは生まれてきます。

    内村鑑三は、国内からも海外からも、心ない人に数多く揶揄されて裏切られもしましたが、その一途な誠実さから、心ある多くの方に愛され助けられた人生でもありました。

    内村鑑三の名言⑨愛の発揮

    ⭐Go to places where you dislike others and do other people's remorse
    ⭐他の人の行くことを嫌う所へ行け、他の人のいやがる事を成せ

    キリスト教の愛の教えに通じ、マザーテレサの活動をも思い起こさせる名言です。

    「他人の嫌がる事を成す」とは、世の常識に単に従っていくのではなく、どんなに反発をくっても、本当に正しいと思ったことを言い、行動に移した内村鑑三の人生そのものでもあるでしょう。

    内村鑑三の名言⑩平和を愛する

    ⭐Worst peace outweighs best war
    ⭐最悪の平和も最善の戦争に勝る

    反戦論を唱え、平和における幸福を愛した内村鑑三らしい言葉です。

    内村鑑三の名言⑪死魚と活魚

    ⭐Dead fish are washed away.But live fish swim against the flow.
    ⭐死魚は流れのままに流されるが、活魚は流れに逆らって泳ぐ

    たとえ正しくないと思われることであっても大勢のなかに流されていく人生より、本当に真実だと思うことには辛くても逆流するという、内村鑑三人生の輝いた生き方が現わされています。

    内村鑑三の名言⑫最後の名言

    ⭐Very harmonious, but is this okay?
    ⭐非常に調和がとれているがこれでよいのか

    一見意味の分からない言葉と思えますが、内村鑑三が人生の最後に残した名言です。

    内村鑑三は、人生の全般に渡って、求道者のように「本当に真実なものは何なのか」を追い求め、違っていると思うものについては断じて受け入れずに、勇気ある行動に移し真実のために戦った偉人です。

    非常に調和がとれているように見えるが、それは上辺だけのものではないのか。実は水面下には間違った流れがあるのではないだろうか。

    内村鑑三の優れた臭覚によって、その匂いを嗅ぎ分けていたのでしょう。内村鑑三の激しい人生を凝縮した言葉ともいえます。

    私たちも全般的にはうまくいっているように見えることがらでも、何か気になって腑に落ちないことを感じることがあるでしょう。

    それは個人的な問題よりも、社会全般に対してのものが多いかと思います。

    たとえば、緊急な場合は別として、お金などのバラまきだけの行政では、嬉しいけども本当に国の財政や国民の教育にプラスになるのか疑問は残ります。

    「地獄への道は善意で舗装されている」ともいいます。内村鑑三の御名を前にして、 優しすぎる体制の危険性にも注意しておきたいものです。

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    名言の背景としての内村鑑三の生い立ち

    多くの名言を残した内村鑑三、辿った人生は名言が表すかのような激闘のものでした。

    ・・幼い頃から英語に触れる

    内村鑑三は1861年、武士の家系に生まれました。家庭の関係で英語に触れる機会があり、4歳という若さで関係書物を読み始めたのです。

    ・・聖書、友人との出会い、キリスト教のクリスチャンへ

    有馬私学校に進学した後、12歳で東京外国語学校へ進学します。学校では生涯において友人となる新渡戸稲造宮部金吾の2人と運命の出会いをしました。

    友人と共に学校では旧約聖書に触れ、初めてキリスト教の存在を知ります。

    16歳になると北海道の札幌農学校へ進学しました。学校生活を過ごすにおいてキリスト教へ改宗し、ヨナタンというクリスチャンネームで勤めを果たします。

    ・・アメリカへ渡米、人生を決める出会いと失望

    23歳にアメリカへ渡米、サンフランシスコにて知的障碍児専門学校の看護人として働きます。後にアマースト大学へ編入し、J・H・シーリーと呼ばれる牧師と出会いました。

    その出会いをきっかけに内村鑑三はキリスト教を広める伝道師になるのを決意します。

    ・・人生の大転機となった不敬事件

    帰国後は教師をしましたが、最初の職場では他の教師と信頼を築けずに去ります。

    次は第一高等中学校の教師となりますが、後に不敬事件と呼ばれる大きな事件を起こします。

    事件により彼は国中から批判されてしまい教師を辞めさせられ、支えてくれた妻は23歳の若さで亡くなってしまいます。

    ・・伝道師としての活動、無教会主義の普及

    友人の支えもあり闘病生活から復帰し、心身ともに回復した後は伝道師としての活動を始めました。

    アメリカの経験もあり、内村鑑三が教えたキリスト教は従来のものではなく無教会主義と呼ばれるものでした。

    最期は1930年に家族へ看取られて永眠、69歳の生涯を終えます。

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    内村鑑三のエピソード

    多くの人間と関わってきた内村鑑三ですが、関係者との触れ合いにはこんなエピソードもありました。

    ・・当初は否定派だったが、友人が原因で強制的に改宗

    今でこそキリスト教の伝道師として有名ですが、内村鑑三は最初から関わろうとはしていません。

    むしろ関わる前は否定的であり、札幌農学校でもしつこい勧誘も跳ね除け拒否していました。

    しかし新渡戸稲造、宮部金吾の2人が書類に署名したのがきっかけとなり、内村鑑三も強制的に改宗せざるを得なくなったのです。

    否定的な感情から始めたキリスト教ですが、クリスチャンとして活動していくにつれ深く感化され肯定的な立場となります。

    ・・友人と決めた英語で過ごす日常と罰金

    学校生活において内村鑑三は友人2人と日常的に英語で会話しようと提案した時がありました。

    日本語で話した時は罰金として五厘支払うと決めた程です。

    五厘は今の価値でいうと100円であり、罰金としては少額ですが日常的に会話する量を考えると無視できない金額になる可能性があるでしょう。

    理不尽に支払ってしまったのをきっかけとし、友人を日本語で喋るように誘導して罰金を取ったという話もあります。

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    信念を貫いた内村鑑三の精神

    内村鑑三は様々な苦難の現実を突きつけられつつも、自分が天に誓って正しいと思った信念を断固として貫き通しました。

    私たちはともすれば優柔不断に人生を送りがちですが、正義の視点から、また人生の節目には、毅然とした態度も必要なことがあります。

    何か気分が晴れない時や、ここぞという人生の節目の時に、内村鑑三の名言をひもといてみてはいかがでしょうか。

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